インディゴブルー




手がすり抜けた。
俺は抜けた手を求めて必死に走った。

だけど追いつけなかった。

追いつけなかった俺はただ地面に伏せて泣き叫んでいた。




それが夢だと気づいたのは手を伸ばした先が天井だったことから。


視界が揺らいでいて俺は現実でも泣いていた。

俺は起き上がって頬についた涙を拭う。


夢で涙を流したのは全てを失ったあの日を思い出すこと以外では初めてだった。

それだけ失うのが恐いものなんて今の俺にはないはずなのに。




顔を洗ってから玄関のドアを開けて朝刊を取りに行くと隣人がいた。


「よぉ、吉田」
「吉川です…」


いつもどおりの挨拶を俺たちは交わす。
なぜだろうか、それだけで先ほどまで感じていた胸に残るどろどろ感が消えていく。


「どうしたの、顔色悪いよ」
「…別に何も」
「………」


何かとおせっかいなこの隣人に俺は、“ここにいたいなら干渉するな”と釘を刺している。
だからこれ以上、何も聞いてこない。

それで、いい。


俺は朝刊を取ってからふと思い出したかのように視線を下に向けて隣人の手首に目が入った。

似ている。

夢に見た俺が求めていた手首に。


「黒崎?」


随分と長く見つめていたのだろうか、声に気づいて相手を見ると、目が合った。

「やっぱり顔色悪いよ」

隣人の手が伸びてきた瞬間、俺は叩いて振り払った。

それから隣人の目は一瞬大きく開いて、そして下を向いた。

「…ごめん、なさい」

今にも泣きそうな声。
どこかで聞いたことがある。
そう、もう既に聞いたんだ。


あの夢の中で。


『…ごめんなさい』

そう言って、離れていった。
俺はその距離を縮めようと必死に走って、でも追いつかなくて泣き叫んだ。

そう、もしこれが夢が現実になったのだとしたら―



俺は振り払った隣人の手首を掴んだ。隣人は驚愕していた。

「な、に…」
「……別に」

俺の態度に隣人は怒りを露にした。

「やっぱり変だよ」
「ああ、お前のせいでな」
「わ、私!?なんで…っ」
「俺が聞きてぇよ」


俺は隣人の体を引き寄せて、腰に手を回した。

夢は現実にならなかったのに目頭が熱いのはなぜだろう。


「……干渉、じゃないよね、これは…」


そう言った隣人の小さな手が俺の背中に触れた。
その手の感触があまりにも心地良くてまた泣きそうになる。


「ああ…」


俺は頷いてからしばらくした後、二つにはっきりと分かれた影は小さく一つになった。