くちびるから魔法




まずい場面に出くわした。

自分の好きな男と自分の知らない女がキスする場面に。


仕事だろう。


彼は詐欺師を喰う詐欺師と言うが結局やっていることは犯罪であることは変わりない。
今に彼が口付けている女もカモの一人であろう。

…と分かっていても見ていて気持ちの良いものではない。


そういういうことだから氷柱は彼らから見て死角になると思う車の影に隠れて、
事が過ぎるのを待っていた。

…仕事とはいえ見たくない。

自分には冗談でもああやって触れることはない。

今、目の前で騙されている女には半分同情して半分嫉妬している。

いやこの苛つき度はもしかしたら嫉妬の方が八割を占めているかもしれない。

手に入らないからこんなにも嫉妬しているのだろう。


恋をすることは女を綺麗にすることであり、汚い生き物へと変える。


自分も例外ではなかったらしい。

氷柱は苦笑した。


「…私は汚くなっていくだけかも…。」


ちらりと車の窓越しに見れば二人は離れていた。
女は笑顔で男に手を振り、男も笑顔でまたねと手を振る。
どうやら終わったらしい。

「………。」

しかし、男が移動しない限り自分もこの車の影から抜け出せない。

しばらく時間が経ってから男は予想通りに溜め息をついてから移動し始めた。

しかし、それは氷柱の予想しない方向だった。

(…う、嘘…だって…!)

内心見つからないことを祈るが、もしかしたらこの車が男の物である可能性もある。
それにもう女はいない。
今なら堂々と出てきても自然なんじゃないかと考え直す。
あくまでも隠れた車から距離を置いてからだが。

男は案の定、氷柱が隠れていた車の側に近づいてきた。

(…今かしら。)

氷柱は屈んだまま進もうとした。
しかし、完全に予想つかないものに行く先を阻まれた。


「なーにやってんのかな、吉田さん?」

「……!!」


男は氷柱の前に凛と立ったままで彼女に声を掛ける。


「……か、かくれんぼ、してんのよ…クロちゃんと…。」


咄嗟に出てきた言い訳は我ながら苦しいものだった。

それを聞いた男は、ふーんと無表情のままさらりと流す。

先程まで見せていた笑顔はどこへやらだ。

本来のこの男はこのように愛想も何もない。


氷柱は、ばれてしまった以上はこれ以上隠れていても意味がないと判断して堂々と立ち上がった。


「……仕事するのも場所考えてしてよね。」


それだけ言い残して男の横を横切ろうとしたが咄嗟に手首へ強い力が加えられて進めなくなった。

「…な、なにっ……んっ。」

男に手首を掴まれたと気づいて振り返った後には男の顔が自分に近づいてきて、唇が重なり合う。
それも軽くじゃない。
洋画で見る深いキス。そう、ディープキスだ。

(…初めてのキスがいきなりこんなのってどうなのよ…。)


「……っは。」

呼吸が難しくなってきたところで唇は解放された。

あまりにも一瞬の出来事のように感じて、男に一発決めるのを忘れてしまっていた。

呼吸を整えようと精一杯の自分に対して、男は全く息を乱していない。

「…なんで。」

ようやく出た自分の言葉に男は悪戯が成功した悪少年のような笑みを浮べる。

「さぁ、なんででしょう?」

そう言い残して男は氷柱の横を通り過ぎていった。

残された氷柱は自分の唇に指で触れた。


「…熱い。」



















彼女が車の影に隠れる前から彼女の姿には気づいていた。

今回の標的となるアカサギとキスを交わしている間だった。

確かに出にくいだろうな、と内心苦笑した。

それと同時に早くこの甘ったるい香水をつけた派手な着飾りだらけの女とのキスなんか終えて、
彼女にキスをしたいという気持ちの方が上だった。

女とキスしている間、彼女はどんな味がするのだろうと考えていた。



いざ実行してみれば、その唇の味はとても甘美だった。

先程までしていた女の唇も甘くはあったがあれは毒々しい甘さだった。
彼女の唇の甘さは自然が生み出す口当たりの良い甘さだ。

同時に麻薬のように依存したくなるような甘さでもあるように感じたから、
ある意味毒々しいと言ってもいいだろう。


(…この甘さなら依存してもいいかもしれない。)


口付けを終えた後、呆然と立ち尽くす彼女を尻目に黒崎は考えついた。


次から仕事で女とキスした後は口直し代わりに彼女とたっぷりキスしてやろうと。