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「氷柱」


俺がそう呼ぶと吉川の奴は案の定、阿呆な表情になっていた。

「……」

あいつは口を間抜けに開けたままだった。

「ちゃんと呼んでやったのにその態度はどうなんだよ、お前」
「…べ、別に…」

吉川は逃げるように部屋の中へ戻ろうとする。俺は当然それを制止した。

「な、なに…」
「氷柱、家賃」

逃げ腰になっているあいつの腰に腕を回してまたわざと名前で呼び、家賃を請求する。

「そ、そう…!家賃…こ、今月は払えるのよ…ちょっと待ってて!」
「正確には先月ですけど、氷柱さん」
「わ…わかってるわよっ!だから、離して…」
「嫌だね」

俺はそのまま吉川を抱いたままで部屋の中へと入った。
入ったらすぐに玄関のドアの鍵を閉める。
閉めた音を聞いた瞬間、吉川が怯えた表情を浮かべた。

「…家賃、払って欲しいんでしょ?」
「先月のな。でもまずは今月の持ち越し分をいただきます」
「…え…」

あいつが抵抗する前に口を塞いだ。
一度塞いでしまえば、後はただただ俺に身を任すだけ。
そして、俺はベッドまで運んでしまえばいい。

しかし、今はそんな気分じゃない。

す、と身を引いてみると物足りなさそうな目で俺を見上げてくる。
今すぐにでも希望を叶えてやりたいがぐっと我慢した。


「…氷柱さん、何か言いたいことでもあんの」
「な、何も…それより離して…」
「今更だろ、そんな期待した目で言われたって説得力無いぜ?氷柱さん」
「じゃ、じゃあ…せめて名前で呼ぶのやめて…」
「なんだよ、それ。お前、いっつも怒ってたじゃん」
「そ、それはそうだけど…」


キスより抱きしめられることよりこいつの今、戸惑っている原因は俺が名前を呼び続けることだった。
名前を呼ぶたび、瞬きの数が増えて口をぱくぱくさせる反応が愛しかった。
こんな感情、もう失ったはずなのに持ってはいけない立場なはずなのに。


「…氷柱」
「…う…うう…」

甘い声で呼んでやると吉川は俺の腕を掴んで必死に自分の顔を見られないようにしようとする。

愛しくなったせいだろうか。
吉川の存在を受け入れたせいなのだろうか。
どうしようもないくらい、こいつが可愛い。


「氷柱、こっち向いてくれないの」
「だ、だから…っ…名前…!」


呼ぶのやめて、と言おうと吉川が顔を上げた瞬間、俺はまた口づけた。











「氷柱」

どうして名前なの?
苗字じゃないの?

戸惑いが隠せない。
どうせいつものようにからかっていることなんて分かっているけど、分かっているけど―

嬉しくてたまらない。

だけど、速くなった鼓動を聞かれたくなくて、目の前にある男の意外と逞しい胸板に頭を埋める。

「氷柱」

狙ったようにまた名前を呼ばれて顔を見上げてしまえば、またキスをされる。

名前を呼ばれるたびに甘いキスをされるくらいならいっそベッドに押し倒された方がマシだ。

そんなこと言ったら、絶対有言実行される。

ああ、崖っぷち。


ベッドに行くか、このままキス地獄に耐えるか―


ああ、贅沢な選択肢だ。