水底
本当は泣きたくない。
泣くべきなのは私じゃなくてあの男だ。
なのに、いつも泣いているのは私で。
こうやってシャワーを浴びている間だけ泣けばいいのに。
どんなに泣いても誰からも文句は言われないし、私も苦しまない。
なのに流すのはあの男の前ばかり。
私はあの男にどうして欲しいんだろう。
親友のように素直に伝えられたらどれだけ楽になるだろう。
今はシャワーの水が隠してくれている。泣き声を上げても水の音で聞こえない。
本当に馬鹿なのは私だ。
あの男の言うとおり、関わらなければこうやって泣くこともないし、お互い困らない。
でも仕方ないでしょう。
私だって嫌いになりたい。嫌いになれたらきっと貴方は少しくらい私の言葉に耳を傾けてくれると思うの。
頭がぼんやりとしてきた頃に私はシャワーの蛇口を閉めた。
そのとき、カチャンとドアの開く音がした。
「家賃もろくに払えないくせに随分と長い風呂だったな。」
いつの間にか浴室の出入り口にあいつがいた。
大家特権という名の不法侵入は一度目じゃなかったけどこんなところまで入ってくるなんて最低だ。
自分には干渉するな、なんて言って私には干渉していいのか。
いや、よくない。
「ほんとCIKだよな、お前。また一人反省会か何かか?」
図星。
さすが詐欺師とでも言うべきだろう、簡単に人の心を読んでしまう。
「だったらなに。分かってるなら入って来ないでよ。」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
なんだ、やればできるじゃない私。
あいつが一瞬だけ息を呑む音が聞こえた。そして足音がした。
出て行ったんだって安心して一息つく。
濡れた体が乾き始めた頃、急にお湯じゃない熱さが私を襲う。
「…人と話をするときは目を見て話せ。」
先ほど出た私の冷たい声より低い男の声が耳元で聞こえた。
「貴方に言われたくないわ…。」
「吉田さんと違って俺はきちんと状況読んでるんですー。」
「ちょ、ちょっと…黒崎、そんなに寄らないでよっ…濡れる…!」
猫が主人にすがりつくように頭を私の首元にこすり付ける。
「…こっち見ろよ。」
「……嫌よ。」
今、彼の方を見れば間違いなく正面の体を見られてしまう。
見られたってまた皮肉しか言われないのは分かってるけどでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
あいつは呑気に私の背中の背筋に沿って舌を這わせる。
「やっ…。」
体が震える。渇いたばかりの肌が濡れていく。
私の腰に回された片手は私の震える手を握っていた。
「…なにがっ…したいの…!」
無駄だと分かっていても私は体をよじらせて彼から離れようと試みる。
彼の唇は再び私の耳元に近づいてきた。
「慰め?」
「…っ。」
私は裸であることも忘れ、男の言葉についかっとなってしまい、前を向いてしまった。
誰のせいで、誰のせいでこんなに苦しんでると思うの。
慰めなんかいらない。どうして。
どうせ慰めなんか出来ないくせに私の側に来るの。
男の頬を目掛けて、手を伸ばせばあっさりとその手は男の手に取られてしまう。
「……良い眺め。」
黒崎は舐めるような目で露になった私の体を見る。
私は正気に戻って隠そうとしたけれど、片手は男に掴まれているためにかろうじて隠せたのは胸元だけだった。
「…思ってないくせに。」
私は黒崎の目をじっと見て言った。
黒崎も私を見つめ返すと、満足そうに笑う。
そのまま何も言わず、唇を近づけて私の唇と重ねる。
気づけば解放されていた手と胸を隠していた片手を彼の後頭部に回す。
そして彼が私の体を強く抱きしめる、それが合図。
後はただただ唇を重ねあうだけ。